喜寿となってしまった

昨日1月20日は77回目の誕生日

こなくていい日です、母が満州から引き揚げてきて、引き揚げ船は米軍の空母と言って居たようだ、博多湾には米軍は引き揚げ船を回して否ようだが昭和21年の夏に帰って来たと言っていた。その翌る年の昭和22年(1947年)1月に姪の浜で生まれた事になっている。

あれから月日が流れ、父は57歳で上顎癌で亡くなり、母も92歳の自分の誕生日に施設で老衰で亡くなった。自分は沖縄へ出張中であった、父が亡くなるときに「父の年を越えれるかな~。」と話していたのを覚えている。昭和51年当時は丸山ワクチンが話題に上がっていたので、東京の親戚に頼んで取り寄せガンセンターへお願いしていたのを覚えているが。

もっちゃんも5年前に肺ガンで右の肺の一部を切除したがその後の経過は異常が無いようである。今年の6月に最後の検診がガンセンターであるのだが、今のところ何も無いので大丈夫であろう。自分なりに考えている。

 

大昔の話(2006.1.20)

今日は、いやな誕生日「いくつ?」などといわれ「うるさい、59歳だ」と投げやりに答えていた。でも、そのようにいってくれるだけでも本当はうれしいのに、強がりか・・・・?

夜、孫からメールが来た「じいじい、誕生日おめでとう」画面を見ながら「ありがとう」、やはり孫からいわれるとうれしいものである。

今日は、団塊の世代が定年後にどのように過ごすか?まもなくやってくる試練。いろいろな人がHPをつくりUPしている。

でも、40年近い日々を現在の職場で慣れ親しんでいる、もっちゃんのような団塊の世代には定年後の新しい職場での仕事に、ついて行けるか(使い物になるのか)疑問だ?

もっちゃんは働くつもりはあまりないのだが、キリギリスのような生活をしようと思っているのだが。つまり、動けるときにいろいろな所・観光地などの名所・景勝地を旅して動けなくなったら、じっとしておこう。元気なうちだよ「先優後楽ならぬ、先楽後優」ですよ。

今晩から、天候が悪くなるという、今年は寒い日が続いている。先ほどのニュースでロシアのモスクワではー30℃が続いているという。なれた人々もネオあげていた。

さあ、もう寝よう、雪が降らないように、祈る。

2006.1.20

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