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5月10日 |
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朝、頭の痛さで目が覚めた、5時であった。
昨晩ガイドさんから「全員、朝日の見える部屋をお取りしてます」とのことで、5時にカーテンを開けチチカカ湖を眺めていた。マックもカメラを手にして湖を眺めていたが、明るくなった行きに従って雲が多く日の出は確認できなかった。 |
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カロリーメイトの包みが膨れあがっているのが分かる。箱を押し破っている。 |
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リッツのナビスコの包装紙がぱんぱんに膨れあがっている。ここは3,810mの高地、気圧はいくつかな?気圧計を持って行ってなかった。
残念 (ホテルのベッドの上で撮影) |
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ホテルのトイレ
トイレの話を少し。ペルーはまだ完全な水洗トイレではない、紙でお尻を拭いた後、水洗に流すことが出来ず横に置いてあるボックスへ拭いたペーパーを捨てる。
ホテルなどは、ペーパーを置いてあるが、都会を離れた有料トイレなどはペーパーは無い、また、腰掛ける蓋もない所がある。だからトイレへ行く場合は、ティシュを持って入らなくてはならない。
水の事情が悪い、水道は大部分が完備しているが、水質が悪いので毎日1本の飲料水を渡してくれる。水道水は飲めないがうがい程度は可能。トイレで流したが戻ってくることはなかったが、流はすこぶる悪い。下水道の設備が完璧ではないようだ。 |
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8時45分にホテルを出て歩いて船着き場へ石段を下っていった、ゆっくりゆっくりと何しろ富士山より標高が高いので、昨晩医者に診てもらったせいか(注射を打ってもらったせいか)気分はいい。
他の気分の悪かった人も元気でいた。
左の写真は、宿泊したリベルタドールホテルです。 |
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船で20分ぐらいの所にある、浮島
そう内の一つに上陸します、今浮島は全部で40島ほどあるそうです。
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ある島に上陸と言うのか?浮島
以前は島民は生活が苦しくて浮島から逃げ出したらしいが、ここ「チチカカ湖は標高にしては珍しい浮島」の事を全世界にアピールして観光客を誘致、入島税や土産販売などで生活させることを条件にする事で、島民達が島に戻り始め、観光客相手の仕事を始め生計を立てることができたと言う。
フジモリ大統領がソーラーパネルを設置させ、今では家庭でラジカセ及びテレビなどが見られるようにしたものである。
また、大統領は学校も一つの島に作った、このウロス島は40からなる小さな島(家族)の集まりである。 |
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一つの島に上陸 |
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浮島を作る様子。
トトラと言う葦の一種を使う。土台となる物がトトラの根の部分に左の写真のトトラを乗せる、右の写真の様に組、真ん中の写真のように、家を造り乗せる。
トトラを使って島を作るのに、約9ヶ月掛かると言うこと、早く作ればでこぼこが出来てしまう、だからゆっくり時間を掛けて作るそうだ。
又一度作った島は約15年間持つそうである、やはり下から腐って来るという〜〜。 |
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次の島にはトトラで造った船で行くことになった、一人2ドル船が出る前にインデオの人達が歌を歌ってくれた。
最初はインデオの歌で2曲目は「さくら」「むすんでひらいて」などの歌を片言の日本語で歌ってくれた。 |
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全員がトトラボートに乗って、もう一つの浮島へ
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島の学校である。
生徒はそんなに居ない、ただ先生は二人いたがボランテアと言うことであった。
ここでも日本の歌を聴かせてもらった。誰から習ったのか知らないが
チューリップ
さくら
狸のしょうじょばやし
むしんでひらいて
また、教室の壁には習字で書かれている習字紙が貼られていた。 |
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トトラで造った船 |
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トトラボートを眺めているもっちゃんと大器 |
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プーノの町のシンボル的なヒョウの像が小高い丘の上に座っていた。 |
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プーノを後にフリアカの町へ、ここの食堂で昼食を取った。
食事を済ませたところで、現地ガイドが添乗員を通じて「この地にこの様な小さな子供が観光に来たのは初めて、記念に写真を撮らせてほしい。」と言ってきたので、もっちゃん達3人で並んだところを彼の携帯で写してもらい、折角だからと言って彼と大器の二人を彼の携帯で写してやった。
本当にそうであろうか? 確かにこの様な遺産の観光に小学生が来るなんて・・・・。ツアー客も思っているかも??
食後空港に行く途中の道では、お祭りが会っていてなかなかバスも進めない。後ろを見るとホンダと書かれたバイクが客を乗せている、こちらではよく見かけられる光景である。
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航空券とリマ行きの飛行機
航空券入り口チェックカウンターでは2穴パンチの1穴を使って穴を開けていた。 |
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フリアカ空港からリマ空港までは1時間半であるが、この飛行機は途中立ち寄った空港があるが名前の方は?????
1540発で離陸してまもなく着陸30分後に又離陸した、リマ空港には1750に到着
空港から大型バスに乗ると、日本食の弁当が配られた。バスが動き出すと、久しぶりの日本食(弁当であれなんであれ)美味しく食べ尽くしてしまった。ふと、バスの中を見ると皆下を向いている、弁当を食べているのだ。
食後とあって心地よいエンジン音と適度の揺れで眠ったしまった。バスの減速で目を覚ますと、前方に信号機が左赤・右青の信号機、バスは右車線に入りスロースピードで走る、そこには銃を持った警察か軍隊が居て、その先にはガラス張りの建物が見えた、何だろうと見ていると中に2名の人が通る車両を確認しているのだった。やはりここは日本ではない事を実感させられる。 |
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又ウトウトしているとバスは狭い路地のような所へ入っていく、ガイドがマイクを持って「間もなく着きます。砂漠のオアシスです」ホテルの中へ、部屋は4人部屋であったのでゆっくり出来る。
荷物を整理して中庭へ、大器が星を眺めていて飛び上がって喜んだ、「星がよく見えるよ。南十字星だよ」と言っていた、それから色々見つけて喜んでいた、白鳥座・かに座・・・・・。
もっちゃんは星座名を知らないので、下手なことを書く訳にいかない。カメラを持ってきて写そうと思ったが上手くいかない、もっと勉強してくれば良かった悔やんでも仕方ないこと。残念、残念。
明日のナスカの地上絵を楽しみにさあ寝よう。 |
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