4つの世界遺産を巡る旅      ペルーハイライト9日間


5月8日
 クスコからマチュピチュへは汽車の旅、サンタ・アナ鉄道でクスコ(3400m)からマチュピチュまで。

 6時30分ホテルよりクスコのサンペドロ駅へバスで向かう、駅にはいるのに大きな門がありバスが近づくと警備員が開けてくれた。警備が行き届いているようだ。
 
 サンペドロ駅から高原列車でマチュピチュのアグアス・カリエンデス駅まで4時間の列車の旅。

 サンペドロ駅を出た列車はスイッチ・バックを繰り返しながら3400mの町から3750mの峠を越えて走る。

 写真で分かるようにカーブがきつい。

 途中の駅チルカ駅からトレッキング道・インカ道を歩くツアーがある。

 インカ道のトレッキングは長くて4日間から短くて7時間コースがあるようです。
 列車はウルバンバ川沿いの渓谷を、縫うように走りまもなくアグアス・カリエンテス駅に到着
 ここからはイロハ坂のような坂をマイクロバスでマチュピチュの入り口まで登る、高低差500mを舗装されていないまた、ガードレールの付いていない道を一気に上る。


 マチュピチュは何の為、いろいろあるようだがガイドの説明では、インカ王の別荘という説がある。
 マチュピチュは2400mの標高でクスコは3400mの標高、又マチュピチュ山とワイナ・ピチュ山との間に別荘を造り静養したそうである。
 この別荘建設には村民を徴用したが、かならず褒美を持たせたと記載されていたらしい。 

 ここの繁栄は100年も持たなかった。

 もともと別荘なので皇族がやって来た、また、王及び皇后がやって来た時に人口が500人位になり栄えたと言う、もちろんインカ路をクスコから4〜5日かけて身分の高いものは籠のようなものに担がれて来たという。

  このインカ路は宿場跡もあるという、そのインカ路を歩きたい気持ちがあるが年を考えると・・・・・?

 この都市の中には、色々な神を祭る場所がある、すべて頭には入らなかった。

 頭に残っているものまた歩いた経路から書いて行こう。

 頂上が平らなピラミッド型構造は、インカの宗教建築の特徴である。マチュピチュは、祝祭儀礼に捧げられた都市であり、太陽や水、母なる大地への進行において聖別されていた貴族や神官など、上流階級の人々が一時住んだと記載されているという。


最初に目にしたマチュピチュの都市
上の写真又左の写真はマチュピチュの代表的な写真

  (都市とワイナ・ピチュ山)
ワイナ・ピチュ山の神殿等
  (300mmの望遠で撮影)
3人で記念写真
もっちゃん(まだ元気) マック(いたって元気) 大器(ハシャギ廻っていた)
居住区
 インカ路の入り口に当たる門、インティパタ別名太陽の場所 標高は2800m
 綺麗に整備された段々畑、現在は48段確認されているが文献によるとしたの川(ウルバンバ川)まで続いていたらしく、畑には北国から南国までの作物が栽培されていたようだ。

 また、見張り小屋や作業小屋が見られる。右の写真に見られるように断崖絶壁に畑が作られている。

 水は700mもの先から引いてきている。

 マチュピチュの居住区への入り口
 裏には門扉を固定する孔の開いた石や、ロープを通す石などが見える。石の形はすべて台形で上部は大きな石が使われている。
 「中央神殿」一部の石がずれて石積みが乱れている。近年日本の大学教授が調べたら断層が走っており傾きが進行しているとのこと。  太陽の神殿は太陽の位置の測量など、窓の位置などから夏至と冬至など時季を見て、穀物などの種まき及び収穫などを確認していたらしい。 インティワタナ周辺は太陽に関する儀式に使われたものと考えられる。
 コンドルは昔から信仰されていた神の一種で、神殿があったクチバシなどがはっきりと分かる。
 下に見えるはサンタ・アナ鉄道の引き込み線、乗ってきた列車が見える。
 司祭の部屋や身分の高い部屋と普通の人の部屋の作りの違いがよく分かる(石積みの正確さ、綺麗さ)。中には男性用トイレがあったのを見てびっくりした、でガイドに女性用はと聞くと返事がなかった。
 この空中都市を発見した人は、ハイラム・ビンガムという人になっているが、彼の発見には地元の人々が関わっており、クスコ滞在時にマチュピチュ山の山麓に町があると噂を聞き、ここマチュピチュ村で地元の人に案内されて見つけたものである。

 1911年のことである。

 それから1913年に雑誌社と提携してすべてを全世界に報道し一躍有名になった。

 名前も山の名前を取ってマチュピチュとしたらしい。



 14時頃から雨が降り出し急ぎバスへ、アグアス・カリエンデスで昼食を。帰りの列車は17時発なのでゆっくりお土産を見学した。



 列車は静かに空中都市を後し、カーブの多い渓谷を走る、スピードはそんなに出せない。

 線路の整備も悪く、横揺れ縦揺れがひどく又所々踏切があるが警報も遮断機もないので、そこを通過する時などはデーゼル機関車は大きく大きく又長く警笛を鳴らすのである。約1時間半ぐらい走ったところで、けたたましく汽笛を鳴らしながら急ブレーキが掛かって止まった。

 何だろうと覗いてみたら、牛の世話をしている子供が踏切を渡っていたようだ、外は真っ暗で機関車のヘッドライトの明かりだけである、列車はそんなにスピードを出してなかったから止まれたけど・・・・。

 ふとその時周りを見回して見たら、真っ暗である外灯などの電灯の光がないのである。

 イメージ的には列車に乗っていると、踏切などの警報機の音が流れていく、そして遠くに裸電球の光が見える。ところがここペルーには無い。無い。そういえば昼間機関車の汽笛がうるさく感じた、踏切事故が怖いのだ。列車の運転手は踏切近くになると汽笛を盛んに鳴らすはずだ。

 2020にクスコの町にあるサンペドロ駅の一つ手前の駅ポロイ駅で多くの乗客が降りた、なぜならばここからバスで帰った方が得策なのだ、途中クスコの夜景を見ることが出来るし列車より速く着くから、いつものようにホテルで夕食をして部屋へ



 部屋で休んでいると、頭が痛くなってきた、もしや高山病と思いや早めにホテルより酸素を貰ったが、下痢が始まった。
おかげで一晩中約1時間置きにトイレへ明日が思いやられる。