4つの世界遺産を巡る旅      ペルーハイライト9日間




5月7日
クスコまでのチケット     スターペルの737−500






待合室にて、マックと孫(大器)




 5時半に起床、朝食を済ませホテルロビーへ、そこには添乗員の山田さんが居て、皆に詫びていた。
 (ヒューストンの入管から別室へ連れて行かれ、取り調べを受け出発時間には終わらず、翌日の便にでリマへ来られたとのこと)

 リマ空港には、空港に関係ない大勢の人が居る。
                添乗員から置き引き、スリに注意と何度も何度も念を押されていた。

 クスコ行きの飛行機は、スターペルの737−500(ドルフィン)である。

アンデスの山々

雲の間に見え隠れする神秘的な山々
国内線の機内 雲の間から雪を被っているアンデスの山
 大器にカメラを持たせ自由に撮らせた。

 クスコは盆地の中にある、上空から空港の位置がよく分かる、町のど真ん中にあるのがよく分かる。

 クスコ空港は飛行機の離着陸を午前中に集中させている、なぜならば、午前中が一番天候が安定しているからである。
クスコの空港

空港に着くなり、空気の薄いのを感じた、ガイドさんから「ゆっくり歩きなさい。」と


海抜150mのリマから
       いきなり3326mのクスコへ

 幹線道路の中央分離帯に水を散水している市の職員なのかボランテアなのか???

意外と樹木が多い、リマもそうだった。

 ペルーはユーカリの木が多い、昔スペイン軍の占領時に木の伐採をしたが植林をしなかったので、近年になって成長が早いユーカリの木を植林したと言う話です。
第9代インカ王のパチャクテの像
クスコの町で見かけた風景

銃を腰にぶら下げて睨みをきかせているポリス、その横で靴磨きをしている若者、また赤子をおんぶしている原住民の女性
 クスコは、町全体が観光町及び世界遺産(文化遺産)

 道路の拡幅工事も思うように出来ない昔のまま、石の道路でバスなどは乗り心地が悪い。

 左の写真は町の様子
 アルマス広場の建物は石材で造られている、その大半はインカ時代の石をそのまま利用
町並み
ハトゥンルミヨク通り
ここの石は12面に刻んだ石を剃刀の刃も差し入れることが出来ないほど成功に積み上げられてある。

そもそもインカ帝国第6代皇帝の宮殿跡である、現在はその上に宗教博物館が建っている。
近くの店の様子、奥行きがある。
 インカ時代の石積みは、スペイン軍により一部壊されたがすべてを壊すことが出来ず、インカ時代の石積みの上にスペイン様式で建物が造られた、15世紀の大地震でスペイン様式の建物は崩壊したが、インカ時代に作られた石積みはビクともしなかった。

 それほどインカの石積み技術は素晴らしいものがあると、説明を受けた。

 (鉄器の無い時代に、どの様にして石を加工したのか???)
昼食は、前菜が野菜スープと鶏の唐揚げは アラマンサス(ゴマみたいなもの)を振 りかけられていた。

    ジュースはスイカのジュースで飲   み残した。
 インカ王パチャクテの時代(1460年頃)に建設されたサクサイワマンは城跡又は儀式を行う場所等言われている。定かでない、ここでは毎年6月24日にインティ・ライミと呼ばれる太陽の祭礼が当時そのままの形式で行われている。

 3層からなっているが、いずれも石の並びがジグザグになっている、これはイナズマを現している。

 真ん中の写真、石の高さ4.9mで重さ128tであるらしい。

 皆元気そうに歩いているが、ここの標高は3550mである、ガイドから「ゆっくり歩きなさい。」と!
 説明を聞きながら皆思い思いに感心したり記念にシャッターを切っている。
 大学で飼育されているコンドルです、時々資金稼ぎにやってくるという。それでもコンドル、おっかなびっくりでカメラに収まっていた。
アルパカ
 近くからは、アルパカを連れて記念写真をどうですかと言ってインデオがやって来る。もちろん有料

 
 タンボマチャイのタンボは宿場の意味、マチャイは洞窟の意味を持つ。インカ王トゥパク・ユパンキが地下水が湧き出ている丘の横に憩いの場として建設、3層の石段と通路があり、泥の漆喰を使わずぴったりと石を組み合わせてるくられた素晴らしいインカ様式の建築物である。
 ここの標高は、3750mです。
 近くの展望所から、クスコの町並み見るマックと大器





イエズス会の寺院があるアルマス広場
 コリカンチャ、太陽の神殿。 サント・ドミンゴ寺院と修道院の内部。

 コリカンチャは、黄金の宮殿を意味するもので1250年頃マンコ・カパクによって建設されその後インカ王が修復・改築して太陽神をインカの最高神と定めた。

 作りは、写真を見ての通り台形をなしている、内側にはいると上部が迫ってくる感じ。

 天体を現したレリーフとスペイン様式と言ってもヨーロッパ風の建物
ポンチョを着た大器
 夕食はバイキングであったが、なかなか食べ物が合わない。
 これは大型のネズミ、食はクイと呼ばれて食べたが、堅くて一口でやめた。
 夕食のレストランでは、民俗舞踊があり又音楽の演奏が始まった。現在クスコでNO1のグループで「Arco Iris」
 インカ帝国の首都クスコは「大地のへそ」を意味し、首都機能を持つだけではなく帝国時代の国家宗教であった太陽信仰の総本山であった。 フランシスコ・ピサロが率いるスペイン軍の占領後、クスコの太陽神殿などはことごことく破壊された、その基礎の上にころにある様式に建物が建設された。


 明日は、待望のマチュピチュへ