地元の新聞に「東京パラ今夜開幕」と一面の下に気持ち程度の記事があった。
161の国・地域と難民選手団の出場を発表、4500人規模の選手が参加する。
この障害者スポーツの祭典は、ドイツ出身の神経外科医ルードウィッヒ・グッドマン氏の情熱から生まれた。ユダヤ系の彼はナチスから逃れて英国へ。そこで務めていた病院には戦争で負傷し体が不自由になった兵士が次から次へ送られてきた。治療にスポーツが有効と考えた彼は車椅子バスケット水泳などをリハビリに取り入れ成果を上げた。
それを一歩進め競技会を開いた。1948年7月、ロンドンで五輪が開幕した日だった。アーチェリーに車椅子の16人が参加したささやかなものだったが、彼は言った。「重度障害者もその気になればスポーツができることを世間に示した」。その後、競技会は回を重ね、国際大会に発展していった。
日本にも素晴らしい人がいた。大分県別府市の整形外科医中村裕氏。欧州留学時にグッドマン氏の治療法を知り衝撃を受けた、当時の日本ではリハビリという概念はなく障害者スポーツなど考えられなかったからだ。
61年に国内初となる障害者選手によるスポーツ大会を大分県で開催、その後64年東京パラリンピックに繋がっていった。
それから半世紀余りをへて東京に戻ってきた大会、先人の思いをこれからも受け継いでいこう。
と、今日の思い出を新聞で感じ取った。
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