九 州 一 人 旅

2008.05.19

 今日はどの様な出会い??




 朝起きると4〜5台の車が泊まっていた。

 そのうちの1台相模ナンバーのオーナーと話すことが出来た。バンコンで2段ベッドのキャンピングカー、夫妻で九州を旅しているが準備周到になさっていた、ネットで観光地を調べ上げ綿密なスケジュールを作っておられた。太宰府天満宮にはいつ来られるのかな??

 出かける前に雨が降り出した、意外と大粒である。天気予報では今日は雨それも大雨になりそうとのこと。

 相模ナンバーと長野ナンバーのオーナーに別れを告げた、次回の再会を願って、手を振って別れた。

 宮崎市内へ向かう。
途中の展望台から青島

 時間が悪かった、朝の通勤時間帯の交通渋滞に巻き込まれ思うように走れない、今日は月曜日で特に車両が多いようだ。

 大淀川を渡っている時ふと、県庁を思い出しせっかくだから県庁に寄って見ようと直ぐに交差点を右折し県庁前に出て、駐車場へと向かった。

 駐車場では係のおじさんが親切に対応してくれた。気持ちが良かった、やはり人間という物は、親切に対応してくれたらそこが好きになる。
宮崎県庁、建物は古いが威容がある。

 県庁の玄関には職員が出ていた。

 庁舎前には観光バス止まりバスから観光客が降りて正門前で記念写真を撮っている。2台目の観光バスの観光客はガイドの「今日のお客様は運が良く、県知事がまもなく来られます。」と言う言葉に玄関へ向かった走り出した。

 大勢の観光客は大喜び、記念写真を撮った組も大急ぎで玄関へ。


 そこへ私有車(官用車ではなく)が入ってきた。
県庁玄関
玄関はパニックの状態
 警備の係員もあわてていたようだ、車から降りた知事、観光客から握手攻め中には知事の額をたたいていた人もいたようだ。
 (下の写真)

 
 今は宮崎県知事は最高の人気者ではないだろうか。
記念写真撮影用に作られている、撮影用台と東国原知事





 県庁を後にして国道を北上していたが雨の方は激しくなるばかり、西都原の古墳群へ向かった、古墳群へ着いた時は雨も上がり散策できた。

 始めてきたが前方後円墳の数の多さにはビックリさせられた。

 西都原考古博物館へ行こうと思ったが、休館日でした残念。
ガイダンスセンター
 西都原古墳群は、全部で311基あるそうです。
奇麗な形の、前方後円墳
円墳 

 古墳群から日向の道の駅へ向かって走ったが、途中の高城へ寄った。

 ここは島津と大友軍が合戦をした所である。

 大友軍は大敗したという、この小さな城を落とすことが出来なかった事が原因とか??
 この城では、天正6年(1578年)、天正15年(1587年)の二度に渡り、大合戦がありました。
 その当時、日向で勢力を誇っていた伊東氏が島津氏に負けて大分に逃げ、親類の大友氏を頼ります。大友氏はこの際、新興勢力の島津氏をつぶそうと、約5万の大軍でこの城を攻撃しました。しかし高城城主山田新介有信はわずかな勢力でよく防ぎ、とうとう大友軍は大敗しました。これを高城川合戦と呼んでます。
 この合戦が原因で、今度は豊臣秀吉の弟、秀長率いる15万の大軍を合戦することになりますが、この時も新介はよく防ぎ、この城は落城しませんでした。
小丸川とその支流である切原川に挟まれ、標高は60mです。

 12時半に道の駅「日向」着いた、温泉に入るべく温泉館へ、ところが今日は定休日。

 入り口の定休日の看板を見落とし、玄関でなぜ開かないのか、しきりに中をのぞみ込む、自分の姿を思い笑いがこみ上げてくるもっちゃんでした。

 次の道の駅「やよい」へ向かって国道10号線を北上する、大分県境の宗太郎峠も難なく走れた、佐伯市に入った、16時頃に道の駅に着いたこの道の駅には温泉がありゆっくりと気持ちよく入浴する事が出来た。

 又、なによりも良かったのは、道路を挟んで向かえ側にコインランドリーが会ったので、早速洗濯物を洗濯機に投げ込んで洗濯したので、一安心である。(やはり洗濯物が溜まってくると、何処かにランドリーは無いか。と心配になる)

 天気が悪いので、明日はどのようになるか?
 国道10号線を佐伯へ向かう、宗太郎峠付近