広 島 へ の 歴 史 認 識 の 旅



2013.03.21〜03.24      

 
 
3月は3学期の修了式。また、卒業式で多くの学生が新たな第一歩を踏み出す時期  
     
そんな中、孫を連れて広島へ出掛けた。

 ゆっくりするつもりで、前日に出発

  高速道路を走る、途中で事故に遭遇したが渋滞には遭わずに下松SAまで前進して車中泊
     
 明くる朝は、SAで作られていたパンを購入し朝食とする。

 錦帯橋までは1時間足らず朝が早いので駐車場は余裕で駐車、でも出口に近い方にした。  
     
     
     
まだ桜については、2〜3分咲

 と言う所かな
 
 
錦帯橋の橋がとても綺麗で


 何枚でも写してしまった。
 
 
 
 
麓の城下町から岩国城を望む  
 
孫は、初めてのところでキョロキョロ  
石垣を眺めて、

昔の人が築いたことを感心していた。
 ロープウエイの往復乗車券
 天守閣
 
     
天守閣からの眺め、岩国市及び基地までも眺める事ができる。  
 
 
 
 
 
河原にて、孫と橋の構造  
 
白蛇


 昔は城に展示されていたが、

 今は城下町で資料館がありその中で

展示されている。
 
岩国から国道2号線を走り、宮島口へ 
     
宮島へのフェリーターミナル前の駐車場へ入れようとしたら、係員の叔父さんから「この車の長さは???」と言われた。

素直に「5.3mですけど!」と言うと、安い駐車場を案内してくれた。(ここは1日単位で2千5百円)

コインパ−キングに入れ船で渡る、相変わらず観光客の多い所フェリーの中ではいろんな言葉が飛び交っていた。  
     
     
 
今日の時間では引き潮で、水がないので

感じがちがう。
 
 
結婚式があったようで、紋付き袴の男性と

角隠しを着た女性がいた。
 
 
平清盛で有名なここ厳島神社


 
 
 
 
 
宮島口へフェリーで戻り、駐車料金を


 精算すると、800円(儲かった!)
 
 
今日は、ここまでで高速道路に上がり、宮島SAで車中泊  
     
ここのSAは車中泊が多く、朝見ると駐車場の半分に車が駐車しており全てが車中泊であった。

キャンカーも十数台確認出来た。  
     
     
 ここから呉までは、一時間足らずの道のりである。高速道路から有料道路を走り呉市内へ、大和ミュージアムの駐車場は

何とかセーフで駐車する事が出来た。  
     
     
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ユックリし過ぎた間があったが、孫はしっかりと見ていた。


 その後は隣のクジラ館へ、海上自衛隊の広報館、廃船になった潜水艦をそのまま展示している、ゆえに中は狭いくて

見学ルートが短い、エンジンルームなど見たい所が沢山あるのだが 
 
 
 
 
左はブリーフィングルーム 




      下は、艦長室
 
 
 
 呉から江田島へフェリーで渡ろうと思ったが、1時間半の待ち時間であったので

 陸路走る事にした。

 海上自衛隊の呉基地に停泊している艦船を見ながら、音戸ノ瀬戸に架かるループ

橋を渡り走る事一時間半
 
 
 第1術科学校の門に、14:20に門前に着いた、が見学者の入場は30分前から出ないと入場できない。

 やむなく近くのコンビニエンス・ストアの駐車場で休憩。

 15:00から自衛隊OBのボランテアの人が見学者を纏めて案内をしてくれた。 
 
 大講堂
  大正6年に建築された。
 
幹部候補生学校庁舎(通称:赤煉瓦)  明治26年建築された。
 
 
ギリシャ神殿風の建物は、教育参考館

 昭和11年に建築された。
 
 
日本海軍戦艦「陸奥」の第4番主砲として搭載されいたのを教材としてここに移設された。 
     
     
     
第1術科学校から車で30分足らずのところに国民宿舎「能美海上ロッジ」がある。

ここに申し込んでいたが、予約で満室仕方なく駐車場での車中泊を申し込んだ。

 係の人が、隣に「シーサイド温泉のうみ」があり、広い駐車スペースがありゆっくり
泊まる事が出来ますよ。 
 
 
シーサイド温泉のうみ 能美海上ロッジ 
 
 
 夜は、微かな潮騒の音を耳にしながら眠りについた。 
 
海水浴場  
 
 トトウガ鼻
     
     
翌日は、8時のフェリーに乗るため出掛けた。

 孫は、夢の中であったが平和公園の状況が判らないの先を急いだ。  
     
三高港からのフェリー  
 
 内航船独特の形をしたフェリー
 
 
 駐車場を探すのに苦労をした。キャンカーが駐車するところがなく、強引に一般車と同じコイン駐車場へ


 ここ平和記念公園は、以前来た事があるがこの様に綺麗になっているとは、もちろん孫は初めてである。  
     
 
 原爆の子の像


2歳の時被爆し、10年後に
     白血病を発病して亡くなった。
原爆ドーム  
原爆ドームを背にして  
 
広島平和記念資料館  
 
 
資料館内の展示品  
 
 
焼け爛れた少女  
 
 
 
当時の惨事のスケッチ  
 
黒い雨  
     
 今回の広島の旅、平和記念資料館がメインであったが、孫の目にはどの様に映ったのか??  
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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