人生を変える出会い  (人は、色々な人と出会う。)

 出会いはその人を大きく変える。そうした人の出会いから人生が変わっていく、これも人生か
 
 生涯を供にする妻との出会い、この世に大勢の中から目の止まって愛妻となった。

 職場での先輩・後輩との出会い、そして別れ、東京で出会った岡山の友。
 定年で職場を去った先輩達、遠くは岩手からメールを頂き岩手の景色が手に取るようにわかる。
 又、元気かいと電話をよこし「今度○○の50周年だから○○で会おう」と言ってきた人、次の土曜日に釣りに行きませんかと行ってくる友、パラグライダーに乗りませんかとメールしてくる友、多くの人々との出会いを大切に「もっちゃんは幸せだなーと思ったりして」うぬぼれか・・!


 そんな中、もっちゃんの生き方を大きく変えた、3組の方々との出会いがありました。

 それは今の自分にとって、最も大切な方々です。(人生を変える出会いである)



はじめは、

 中学に入学初日、教室の中で前の席から、ひょいと後ろを振り返って話しかけてきた、初対面の無津呂くん「中学になったので、楽しく学生時代をすごそう」といって話しかけてきた。

 彼との出会いから、放送部という部を知り、部の方々と親しくなり放送部に入部、朝の全校生徒朝礼時などアンプの設定等を準備するようになった。

 放送部の方々、古川さん山田さん高井さん達(長谷さん・牛房さん・入井さん・児玉さん)である。

 それまでは、もっちゃんの実家は親父が時計職人である、いわば時計を修理する人。
 父はもっちゃんが高校入学時は機械科に進んでくれるとばかり思っていたらしい。でも、放送部で電気の事を学んだ放送設備を取り扱って解らないことを先輩に質問する、先輩達は快く答えてくれた。
 ラジオの構造にも興味を持つようになっていった。

 このようなことでとうとう高校は電気科を目指し無事入学することになった。

 もう一つは、放送部の先輩達とハイキングで背振山に登った、初めて登った背振山の思い出が心に残って以後も知らず知らず山に足を向けるように成っていき、家族でも三郡山・宝満山・若杉山・背振山など福岡近辺の山に行くようになっていった、高校入学と同時に登山部を立ち上げ活動を始めた。
 

 その中学放送部時代に、先輩達からいつも「もっちゃん、もっちゃん」と呼ばれていたものです。

 それぞれに高校に進学し、就職してバラバラになってしまったが、約40年ぶりに再会することができました。


平成16年11月13日 昭和35年3月13日 背振山にて


その次は、

 職場(自衛隊福岡地区病院)で知り合った歯科医官(徳永先生)である。

 趣味が登山ということでよく一緒に山に出かけた、中でも福岡県の糸島半島に野北牧場(昔黒田藩お抱えの馬牧場)の岩場では、ロッククライニングまでは行かないが岩登りの練習を二人で日暮れまで。

 出会いは別れの始まりという、先輩は鹿児島県出水野田郷の診療所へ転勤していった、でもたまに遊びに国鉄(普通列車:蒸気機関車牽引で8時間)で出かけて行き遊び廻った。
 鹿児島、指宿と楽しかった。そこで身に付いてのが旅行である旅、北アルプスへ行くときはバラバラに出かけるが上高地で待ち合わせ槍が岳に登った。

 何時も時刻表を手に持っていた、時刻表を見て旅行をしていた次は何処へ行こうか何時何分の列車に乗って何処で乗り換えて・・・・・・と。

 いまは、熊本市で歯科医院を開業されている。たまには遊びに行っては、昔の話に花を咲かせている「どこどこの山は良かった。もう一度登りたい」等々の話を延々と続ける。

平成5年、年には勝てないと言いながら、60才の大台になる前に富士山へとの夢を達成させた。(まだ富士山測候所が有るときであった)

 


市房山、横二岩にて 平成5年8月6日 富士山山頂
熊本の自宅前



その次は

 職場の真谷先輩、職場は自衛隊(自衛隊と言っても、鉄砲を持って訓練する自衛官ではなく駐屯地等の施設を維持する職員=防衛庁職員)という塀の中で、一人一人が専門的に仕事をしていたところ、電気関係の仕事をしているもっちゃんを「もっともっと広い仕事をしては、電気は建物の一設備である」「電気屋さんだけでは視野が狭く、建築家ではもっと視野が広がる、家を造るにも建築士・大工さん達が建てる、とそれに会わせて設備やさんが仕事をする」。

 まだ30代であった、目の方も悪くなく建築の勉強を始めたが、言葉が違いすぎで戸惑い、建築現場に行っては部材を指しながら名前を言って覚えた。
 建築士の免状を見たときは涙が出てきた。これで又違った人生になるかもしれない、嬉しかったと同時にもっともっと勉強をしなければならなかった。

 現場から事務所にあがることは、工事用の設計図書を作成しなければならない、それだでは収まらない、財産管理・物品管理・文書管理・管理管理と追いまくられた。

 又、一大事は異動である、契約職員は3年以上同一駐屯地で勤務することができない。
 一応工事の設計から管理(監督)を実施しなければならないので、業者との接点ができる、又物品の納入検査業務も行うゆえに異動の話が出てくる。

 いままで多くの駐屯地を経験したが苦労も多く経験した、地元の人とうまくいかなかったこともある、お陰で辛いことや楽しいこともあった、色々な地方の人と知り合えた。(方言も勉強になった)

 同一場所で仕事をしていた時より多くの友達ができ出会いが生まれた、もっちゃんは大きくなった思う。

久住キャンプ場にて
早朝の阿蘇山


 このように振り返ってみると、人との出会いから人生が始まるのではと思えてくる。いまはキャンピングカーを乗り回しており、ここからもまた人生を変えるような人との出会いがあるのではないだろうか。
 会うは別れの始まりというが、出会いは最高の場、物語の出発点になるまた時が経つと、寂しい別れがある。が、いずれも又いつか何処かでの再会を期待しての別れであってほしい。


平成17年9月17日 久住でのオフ会 もっちゃん号
これからも旅は続く、人生の出会いを求めて、何処までも。今できる事は、今実行したい、元気な内に・・・・。