耶 馬 渓 へ の 旅


平成19年10月23日〜26日



耶馬渓のサイクリングロードを走ってみたくやって来た。

 禅海和尚が、1730年から30年かけて掘った洞門です。菊池寛の小説「恩讐の彼方」のモデルになったとされている、この中でこの洞門を「青の洞門」と命名されている。
 また、開通後禅海和尚は、通行人から通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われている。





このロードは、耶馬渓鉄道が廃止(昭和50年)された後を自転車専用ロードとして整備された。

コースは鉄道の跡だけあって平坦であるが、守実との高低差(約100m)があり耶馬渓からは登りとなる。
渓流の綺麗な流れ
 いつもは車で対岸を走り抜けるのだが、旧の鉄道跡を走るとなると見えないものが見えてくる。


今も残る駅の跡
トンネル
 トンネル内も奇麗にされ、照明もついている。
一休み
1818年(文政元年)に頼山陽がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりである

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
これは水道橋です、最初は変わった橋だなーと思っていた、なぜならば橋脚が普通の橋では考えられない構造であったからである。

 近づいてみると橋の中程に点検口が見られた。

 なぜだ??橋の端に行くと水路が来ていた、仕切り板で仕切られていた。

 約600×600の大きさである。
地図で確認すると、この水路は山側から川の中州へ水を送られている、

 地元の有力者がこの辺一帯の土地を持っていて、中州での稲作にどうしても必要な水を送るのに水道橋を作ったのだそうです。
これは、水路です。

 昨日見た水路の確認に出かけた、丁度近くに地元のおじさんが居たので水路の件を訪ねた。
 おじさん曰く、明治の44年頃に田んぼで稲作りを始めた、それまでは桑の木を育て蚕を飼育していたそうです。

 米作りを始めるからには水が必要とのことで、2〜3km先から水を引く為、岩壁を削り・トンネルを堀、水路を造り田んぼに水を引き入れたのだそうだ。それは大変な苦労だと思う、農民の力だ。
 秋桜ですね






近くの温泉「西谷温泉」
ここの公園はキャンプ場も整備されていた。



国道500号線を院内へ向かう途中

鹿嵐峠付近
峠より耶馬渓方面を望む
鹿嵐隧道
 以前から、宇佐に行く時見ていたが、やっと近くまで出かけた。
 ここには、鷹栖観音堂があった。
 歩いている内に、龍岩寺を思い出した。

 規模は小さいがお堂がある。

 また、鳥取県の三徳寺投入堂にも似ている。




湯布院の道の駅で見かけたキャンカー

車は、レイ−ジャ−ベースのキャンカー

ここを基地にして、車で移動中