姫 路 城 と 京 都 散 策 の 旅

2008.08.24・25


 孫の一言が、世界遺産への旅となりました。

 乗車券は京都往復を購入(割引有り)

 後は、姫路までの指定券と姫路から京都までの特急券

  それに、帰りのグリーン券
 JR二日市駅

 7時49分の快速電車で博多駅へ向かう、博多駅で時間に余裕を持たせるため。
家族の見送り



ペルに行く時は、福岡空港で見送りを受けたが、今回はJR二日市駅で      
 博多駅には早めに着いたのだが、新幹線は新下関・新山口間の停電事故で大幅に遅れていた。

 乗る予定の列車は、8時39発の「ひかり450号」遅れること30分、9時10分に博多駅を出た。
 初めて乗る新幹線に孫は興奮気味、車内は奇麗でゆったり座れるのでゆっくり出来る。飛行機であれば足下が狭く感じるが、その様なことはない。外を見ている孫は「意外とスピード感が感じない。」と言っていたが、外の景色をしきりと見ていた。
客はそんなには乗っていない。 満足げな様子 今どこを走っているのかな?
 
姫路駅からの姫路城
 11時15分に姫路駅に着いた、ここからは目の前である。

 約15分の道のりで城の入り口へ着く、そこまでの歩道は、車道より広く感じられ、観光客を迎え入れる心遣いを感じた。
桜門橋越しに見える姫路城と大器
桜門橋越に見る姫路城 三の丸広場から見る姫路城
三の丸広場
 入園料を払い中へ入る、ボランテアの案内係が居て案内をしていたので、その後ろについて説明を聞きながら進んだ。

 ここは、戦争中に爆撃を受けていないそうで、戦後B−29のパイロットに話を聞いても、「この城を避けて爆弾を投下した事は無い」と言う返事が、多くのパイロットから帰ってきたそうです。 
ろの門を過ぎはの門へ向かう道筋 はの門及び天守閣
        ほの門

 槍を持っている敵の部将を、通りにくくするために、小さく作っている。
備前丸からの天守閣を見る
天守閣内の様子

 天守閣は、外観5層、内部は地上6階地下1階です。
 天守閣は、直径1mちかい2本の柱で支えている。(東の心柱及び西の心柱)

 周りは廊下は武器庫になっている。(槍や火縄銃などが保管されていた)
天守閣から、姫路駅を望む(正面)
西の丸からの天守閣を望む

「暴れん坊将軍」などの撮影に使用されている場所から天守閣を望む。
天守の高さ
姫路城の天守は姫山(標高45.6m)の上に建っています。
姫路城自体の高さは、石垣が14.85m、建物が31.5mなので
合計すると海抜92mになります。
心柱の大きさ
東西に2本、高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cm
面  積
内曲輪(うちくるわ)以内の面積・・・23ha(230,000m2)。
外曲輪(そとくるわ)以内の面積・・・233ha(2,330,000m2)。









JR京都駅
 京都へは、姫路駅から「こだま」に乗り新大阪ら「ひかり」乗り17時に着いた。

 時間があるのでぶらりと歩くことにした、二条城近くのホテルまで距離感がない二人は「イケイケドンドン」でも1時間過ぎた頃から、残りの距離及び現在位置を確認するべく、孫に携帯電話を渡し調べて貰ったら、意外と近くであり安心した。
 
         
それまで歩き続けた歩道は、奇麗な歩道でゴミが無くさすが観光国際都市だな〜と思った。


宿泊は京都国際ホテル

孫と二人旅には、素晴らしい部屋に泊まることが出来、感動していた。

 ホテルの庭






 観光タクシーを予約入れていたので、予定道理0815にやって来た。

 開園時間等があり先ずは、宇治市にある平等院へ行くことにした。


 
昭和26年に、10円硬貨に裏に選ばれた。

左右対称の鳳凰堂は、永承7年(1052年)に関白藤原頼通によって開創され、その翌年の天喜元年(1053年)阿弥陀如来(国宝)を安置する阿弥陀堂として建立された。
この中は撮影禁止で撮影できなかったが、雲中供養菩薩像52体があり、いずれも雲に乗って、色々な楽器を奏で舞うなどの彫り物が、四面も壁に飾られている。




 平等院を後に京都市内へ向かったが、途中に伏見稲荷があるというので立ち寄った。

伏見稲荷大社は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮である。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。

稲荷山には信者から奉納された約一万基の鳥居がある。
 その一部、鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まったそうで、一本当たり150万円ぐらいとか?

「おもかる石」この石を持って重いか軽いか、本人が感じた事がその人の人生だそうです。






 国宝三十三間堂は、正しくは蓮華王院という千手観音信仰の道場で「三十三間堂」の名の由来。南北に125mもある長大な御堂内の柱の間数が三十三あることにちなんでいる。
 お堂内には、千体千手観音像・二十八部衆・中尊寺千手観音座像・風神雷神・などが納められている。

 お堂内は撮影禁止








次へ向かったのは、清水寺



入り口で一枚
清水寺の舞台
音羽の滝

清水寺の開創を起縁し、寺名を由来する。こんこんと流れる出る清水は古来「黄金水」「延命水」とよばれている。

今日、参詣者が行列をつくって柄杓に清水を汲み、六根清浄、諸願成就を祈る。








山に書かれている「大」の字
総 門 
雨の中の金閣寺
 金閣寺・舎利殿が特に有名になって金閣寺と呼ばれるようになったが、正しくは「鹿苑寺」(ろくおんじ)と言い、臨済宗相国派の禅寺です。

 足利3代将軍義満が、この地に金閣寺を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われる。










金閣寺から程なく石庭龍安寺

「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。
皆座り込んでなかなか動こうとはしない。
龍安寺内の境内








 駆け足で巡った今回の旅

 まだまだ見るところはあるのだが、時間が許さない。次回来る時はキャンカーでゆっくりと見て回りたい。

 ガイドの野村さんにはお世話になりました。(観光タクシ)
 帰りの新幹線内、グリーン車に満悦、特にAC電源があったので早速ゲームを
 この列車は、予約より1時間速い列車ですが、大雨のため1時間遅れで運転されていたから計画道理の時間に帰り着いた。